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2004年 06月 17日
初めまして。全て、無に帰す。過去の記事は全て抹消しました。
過去が消せるというのは素晴らしいシステムではありませんか? 反語。 さて、このカテゴライズである「喜劇名詞」「悲劇名詞」は太宰治ファンならご存じであろう「コメ」と「トラ」です。太宰氏は作品中で、全ての単語はこの2つに分類され、喜劇の中に一つでも悲劇名詞が出てきたら、その喜劇は駄作だとかなんとかおっしゃっておられました。 さて、今、第一回、私の思うところは悲劇名詞「絶叫」。これが喜劇名詞であったらどれだけありがたみのないことでしょう。私たちのうち、数割は、常に絶叫し続けている人だと私は思います。内側からの、自分自身でさえ押さえつけきれない、生々しい絶叫。生きたいのに生きていけない。それは決して病気や癌など、そういった現実的な問題ではなく、もっと抽象的な、内面にはびこる苦痛についてのことです。 話は少し逸れますが、よく、映画を撮ったり小説を書いたりする際、何か「制限」を設けると話は簡単にグンと面白くなると云います。安直なところだと時限爆弾や身体障害…何かしら、「それがあるから急がなければ」とか「それのせいで行動が制限されてしまう」とか、そういった制限が話を面白くすると。 ふと思うのは、最近のドラマや映画に身体障害ものが多く取り上げられているなあということです。眼が見えない?耳が聞こえない?こんな風に、きわめて簡単に、制限を作る。一つ二つはまだ良いものの、最近のこの広まり様は、もはや企画の煩雑さをすっ飛ばしたいだけなのではないかと思えるほどです。 で、話に戻りますと、私が見たい動画作品は、そんな安直なものではなく、やはり、全ての人間に共通した内面の葛藤、苦痛、そういったものを克明に描く。そして戦う。戦わないのも有りだと思う。苦しむ。時々笑う。奇蹟は決して起こらない。裏切り者もいる。いろんな人間がいる。耐える。笑う。耐える。笑う。 いつも内面では顔をぐしゃぐしゃにしながら絶叫している。そういった作品が見たい。 もっとも、そんな作品を作ることが出来るというのであれば。 #
by fabulous-garbage
| 2004-06-17 21:54
| 悲劇名詞
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